最近贈与についての本を読みました。
実は当初てっきり相続・贈与の資産運用の話かと思って手に取ったのですが、全く違う話でした汗。
しかしこれはこれで面白い考察をしている本だったので紹介したいと思います。
ここでいう贈与というのは、資本主義という価値と金銭の交換がベースの世の中で、「お金で買えないもの、非合理で余剰な存在」と定義しています。
贈与は見返りを求めることなく、すでにもらった贈与に対するお返しという形で次に渡すことになります。
『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学
boompanchのレビュー – ブクログ
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以下内容抜粋
- お金で買えないもの:贈与
- 誰かからプレゼントされた瞬間にモノはモノではなくなる。その余剰分は自分では買えない、贈与は価値創造、お金で買えないものは贈与。
- 贈与を受け取ることは関係性を持つことを受け入れたことを意味する。返礼が贈与の応酬へ。受け取ってもらえること自体が嬉しい。
- 親から子の贈与は無償の愛ではなく先立つ自分への贈与という負債の返済。子に愛を与えた親は、子が贈与する対象を得て初めて完了したと認識を持てる、だから孫の親は顔が見たい。
- 先立つ贈与がない自ら始点となる贈与は必ず疲弊し悲劇を生む(自己犠牲)。贈与は必ずプレヒストリーを持たないといけない。
- ギブアンドテイクの限界
- 他人を手段として遇する態度(仕事)=贈与のない交換が支配的な世界には信頼関係が存在しない。
- 贈与のない世界では、何も持っていなくて助けを求めたい状態において原理的に助けを乞うことができない。誰にも迷惑をかけない社会とは、誰からも必要とされない社会
- 遅刻欠勤が罰金を課すことでむしろ違反者が増えた、という事例から、倫理や義務感、誇りといった内的動機、責任を交換によって失わせてしまう
- 贈与が呪いになるとき
- 贈与による人を結びつける力は縛りつける力にもなりうる。時に繋がりを求めながら繋がりに疲れ果ててしまう。
- 贈与はそれが贈与だと知られてはいけない、明示的に語られる贈与は受け手の自由を奪う。返礼の義務を生み出し交換へ変貌する。もし交換対象を持っていない場合は負い目に押し潰され呪いにかかる。
- 名乗ってはならない、しかしずっと気付かれないと贈与にならない。あれは贈与だったと過去時制で把握される必要がある。(例 サンタクロース)
- 贈与の正体
- 贈与には過剰さや冗長さがある、贈与は行為から合理性を差し引いたものとも言える。贈与は合理的であってはならない。敬意や礼節はそうしたものの一つ
- 好きな理由を挙げる時不合理なことが含まれるほど愛のメッセージになる。ただし合理的なものの後で言わないと怒りを買う。
- 贈与は届かないかもしれない、届くといいなという祈り、贈与は偶然で不合理なものだと思う節度が必要。差出人に倫理を要求し、受取人に知性を要求する。
- 過去の中に埋もれた贈与を受け取ることができた主体だけが再び未来に向かって贈与を差し出すことができる。
- 贈与のメッセンジャー
- 私たちが当たり前だと思っているものは実は過去の人たちが作り上げた贈与である。当たり前すぎて私たちは気づかない。
- 防がなくても自分の責任ではないが、自分がやらねばと感じるunsung heroが社会を支えている、そこにはインセンティブはないし、一切その贈与が気づかれないことを望んでいる。前任の存在に気付くことで連綿と続いていく。
- 贈与は市場経済のスキマにあり、交換が日常だからこそ余白として生まれる。
- 贈与を受けたものの繋げなくなった人はどうすればいいのか、それは逆向きに差出人へ与えるという解がある。贈与を受け取ったと差出人に認知してもらうことが差出人に生命力を与える。
- 教養とは誤配すなわち常識を学ぶことで贈与の存在に気づくこと、そして世界が贈与に満ちていることを悟ること
こういう切り口で贈与を定義しているのは面白いなと思いました。僕が一番ポイントだと思ったのは、「与えられたものに気づく」ということです。
贈与すなわち与えるという行為は、「既に自分が与えられていて、それを返そうとする試み」という考え方が非常にしっくりきたからです。
昨今GO GIVER「ギバーになれ!」という言葉が流行っているように思います。
言いたいことは分かるんだけど、と思いつつ心に引っ掛かりを覚えるのは、「見返りを求めないで与えることが成功につながる」という考え方が、見返り求めてるよね?と感じるからだと思ってます。
単位取るためにボランティアしているような感じといいますか、良いことに違いないですし、やるに越したことないのですが、なんだか偽善な感じがして自分もやろうと思えないところがあるのです、ひねくれてますかね。
しかし贈与の考え方を取り入れるとすっきりします。既に与えられたものを返そうとしているので、その与えられたものの存在が見えない他社からは見返りを求めずに与えているように見える、これがGIVERなのではないか、と。
GIVERは聖人君子でもなければ、下心隠しの言葉でもない。
本書に書かれている、「受け取ったことに気づくためには教養が必要」というのは非常に納得で、与えられたものを自覚できることが貴重であり、「失って初めて有難みを知る」などというのは、まさにその典型で、数々の失敗経験によって人は受け取ってきたものの大きさを知るのかもしれません。
そう考えると、なぜ勉強するのかという問いの一つの答えは、先人たちが残してくれたものを学び、与えられたものの大きさを学ぶことなのかもしれません。。そして先立って受けてきた恩恵の自覚の大きさが、その人を動かす力となるのでしょう。明日から一段と勉強が楽しくなりそうです
P.S. この本の中で、贈与の概念を理解する上でうってつけの映画として「Pay it forward」という作品を紹介しています。この映画いい映画なのでオススメしたいのですが、本を読むと完全にネタバレなので、本を読む前に見ることをオススメします。
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